高宗 (宋)
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高宗(こうそう、Gaozong)は、南宋の初代皇帝。姓は趙(ちょう)、諱は構(こう)。
生涯[編集]
1107年6月12日、北宋の8代目皇帝である徽宗の9男として生まれる。1127年、金軍の侵攻により首都開封が陥落。父徽宗と長兄欽宗を始めとする大勢の皇族が北方に拉致される事態となった(靖康の変)。また、趙構の正妻・邢氏もこの時捕らえられ、その後夫婦が再会することは無かった。幸い趙構は奇跡的に逃れることができ、南京にて兄に代わる新たな皇帝に即位。その後南進してきた金軍の追撃を躱しながら1132年に臨安を都に定め、南宋を建国した。南宋軍は名将岳飛の活躍もあり金軍を押し返しつつあったが、高宗は和平派の宰相秦檜の策を採り、1142年に紹興の和議が結ばれた。この和議は南宋に金に対しての臣従、淮河以北の領土の割譲、莫大な歳貢を強いる屈辱的な内容であった。また、岳飛は金の機嫌をとるために処刑された。高宗が講和を急いだ理由としては、当時南宋中で反高宗の乱が頻発しており、国内の安定を優先したかった事が挙げられる。1162年、男子のいない高宗は太祖趙匡胤の子孫にあたる趙眘に譲位し太上皇となった。以後は政治から身を引き、1187年11月19日に崩御。享年81。高宗を最後に太宗の皇統は断絶した。
関連項目[編集]