光宗 (宋)
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光宗(こうそう、Guangzong)は、南宋の3代目皇帝。姓は趙(ちょう)、諱は惇(じゅん)。
1147年9月30日、趙眘(後の孝宗)の3男として生まれる。長兄が早世したのち次兄との跡目争いに勝利し、1167年に立太子された。1189年2月18日に孝宗の譲位を受けて即位したが、政の決裁は相変わらず太上皇となった父が行っていた。光宗の皇后李鳳娘は凶暴な美女であり、私生活において常に彼を支配していたとされる。光宗がある侍女の手を美しいと褒めたところ、李鳳娘はその手を切り落として光宗に送りつけたこともあった。やがて李鳳娘は政治にも口を出すようになり、後継者問題を巡って孝宗との関係も冷え込んだ。このような状況の中、元々気弱だった光宗の精神状態は徐々に悪化。アルコール中毒となり、精神異常をきたすに至った。1194年に太上皇が崩御しても喪に服すことはなく、失望した朝臣の韓侂冑らは太上太后呉氏と図ってクーデターを起こし、7月24日に光宗は廃位された。次男の趙拡(寧宗)が新皇帝となり、光宗は離宮に隔離されたまま1200年9月17日に没した。享年54。