前廃帝 (南朝宋)
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前廃帝(ぜんはいてい)とは、劉宋の5代目皇帝。姓は劉(りゅう)、諱は子業(しぎょう)。ぶっ飛んだ少年皇帝である。
幼少期[編集]
449年2月25日に文帝の第三皇子劉駿の長男として生まれる。彼が4歳の時に皇太子劉劭がクーデターを起こし、子業は監禁されて殺されかけたがなんとか救出された。その後、孝武帝となっていた父が464年が崩御し、子業が新たな皇帝に即位した。
やばいエピソードの数々[編集]
- 父の墳墓に放尿する
- 病床の母に暴言を吐く
- 妃を奪うために弟を処刑
- 父の妃の墓を暴いて死姦を行う
- 姉に性奴隷として美男子30人を与える
- 叔父に「豚王」「賊王」「猪王」の蔑称をつけ、泥水の中で食事させる
- 自ら衛兵を率いて家臣を斬殺
最後[編集]
ある日、前廃帝が些細な理由で宮女を処刑したところ、夢に彼女が出てきて前廃帝を罵った。激怒した前廃帝はその宮女に似た女性30人を追加で処刑したが、今度はその30人が夢の中で前廃帝を罵った。翌466年1月1日、前廃帝は酒宴で酔ったところを叔父の劉彧らに襲われて殺された。享年16。