簡文帝(かんぶんてい)とは、南朝梁の2代目皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は綱(とう)。
503年12月2日、梁の武帝蕭衍の第3皇子として生まれる。若い頃から文才があり、兄・昭明太子の伝記を著したこともある。531年に兄の死によって皇太子となった。548年に侯景が反乱を起こし、翌549年建康が陥落。武帝は幽閉されてまもなく没し、蕭綱が皇帝に即位したものの政治の実権は全て侯景に牛耳られていた。551年11月15日、泥酔して寝ていたところ、侯景の部下によって上に大量の砂袋を積まれて圧死させられた。享年47。簡文帝の皇子は一部を除いて殺害され、大甥の蕭棟が帝位を継いだ。
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