宣帝 (北周)
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宣帝(せんてい)とは、北周の4代目皇帝。姓は宇文(うぶん)、諱は贇(いん)。
559年、宇文邕(武帝)の長男として生まれる。572年に立太子されるも君主の素質を欠いていたとされ、父帝から幾度となく厳しい躾を受けている。578年6月に父帝が急死し宇文贇が皇帝に即位。叔父宇文憲を始めとする功臣の粛清や宮殿の造営といった奢侈により国力を疲弊させた。色も好み、武帝の妃達と関係を持ったほか、同時に5人の皇后を立てた。579年4月1日、在位1年で長男の宇文闡に譲位し太上皇帝となった。翌年6月22日に崩御。享年24。一説によると精力剤の過剰投与が死因とされる。宣帝は政務を義父の楊堅に丸投げしていたが、これにより彼の専横が進んだことが後に北周が隋に乗っ取られる要因となる。