明元帝(めいげんてい)とは、北魏の2代目皇帝。姓は拓跋(たくばつ)、諱は嗣(し)。
392年に後の北魏道武帝となる拓跋珪の長男として生まれる。父の治世末期、母の劉貴人が子貴母死の制度に基づいて処刑されたことで激怒し、宮廷から逃亡したことがある。409年に弟の拓跋紹が反乱を起こし道武帝を殺害すると、拓跋嗣は彼を討ち2代目皇帝に即位した。明元帝は柔然や高車といった周辺の遊牧民勢力を討伐したほか、劉宋との戦争に勝利し虎牢関を獲得した。内政では都平城の造営と漢人官僚の登用を進めた。423年12月24日に崩御。享年31。長男の拓跋燾が後を継いだ。
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