司馬睿
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元帝(げんてい)とは、東晋の初代皇帝。姓は司馬(しば)、諱は睿(えい)。
生涯[編集]
276年、曹魏の軍師司馬懿の4男司馬伷の孫として生まれる。290年、従兄弟叔父に当たる西晋の武帝(司馬炎)が崩御し、武帝の子の恵帝が即位した。しかし恵帝は無能だったたため、翌291年に諸王の王位争奪戦である八王の乱が勃発。権力を掌握した司馬穎により司馬睿は軟禁されてしまったが、まもなく封国の江南への脱出に成功した。306年、司馬穎が司馬越に倒され八王の乱が終結すると、西晋の行く末を察した近侍の王導の献策により呉の旧都建康を居城とした。司馬睿らは江南の貴族達の支持を獲得し、地盤を固めることに成功した。307年、北辺で匈奴の族長劉淵が挙兵し匈奴軍が晋に傾れ込んだ(永嘉の乱)。313年に洛陽が陥落し懐帝が捕らえ、後を継いだ愍帝も316年に長安で降伏した。一連の戦乱で晋の帝室は悉く殺戮されたため、江南にいて無事だった司馬睿が317年4月6日に元帝として晋の皇帝に即位した。これが東晋である。しかし、流浪の亡命政権としての性格の強かった東晋の政権運営は困難を極め、早くから王導とその一族王敦の専横を許した。元帝は王氏の排除を画策したが露見し、322年に逆に反乱を起こされた。王敦と和睦して反乱は一応収束したが、翌323年1月3日に元帝は崩御した。享年48。長男の司馬紹が後を継いだ。
関連項目[編集]