元帝 (南朝梁)
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元帝(げんてい)とは、南朝梁の4代目皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は繹(えき)。
508年9月16日に武帝蕭衍の第7子として生まれる。湘東王に封じられ、549年に東魏出身の将軍侯景が反乱を起こし武帝を殺害すると、反侯景軍のリーダーとなった。当初は一進一退の攻防が続けられていたが、551年に配下の武将王僧弁が侯景軍に大勝したことで主導権を握り、翌552年侯景を敗死に追い込み梁の皇帝に即位した。しかし、妥当侯景の協力を仰ぐために西魏に割譲した蜀を取り返そうと企んだところ西魏が激怒し戦争が勃発。居城の江陵を攻め落とされ、555年1月27日に処刑された。享年46。建康に居た王僧弁が元帝の第9子を敬帝として擁立した。なお、江陵陥落の際やけくそになった元帝は1万巻にものぼる書物を燃やしたという。