トゴン・テムル
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トゴン・テムル(Toγon Temür、漢字:妥懽帖睦爾)とは、モンゴル帝国の15代カアン。元としては11代目にして最後の皇帝で、北元の初代皇帝。
生涯[編集]
1320年5月25日、明宗(コシラ)の長男として中央アジアで生まれる。父帝の急死後、文宗(トク・テムル)によって宮廷から遠ざけられ、高麗の大青島や広西の静江府へ流される不遇の時期を過ごした。1332年に文宗が崩御し、後を継いだ寧宗(イリンジバル)も夭折したため、トゴン・テムルが後継者に指名された。有力者エル・テムルの妨害により即位が半年延期されたが、1333年7月19日、彼の病死を機に13歳でカアンに即位した。
即位初期は軍閥バヤンが実権を握ったが、恵宗はバヤンの甥トクトと協力して1340年にバヤンを追放し、親政を開始する。その後も重臣間の政争を利用して権力の維持を図った。しかし、この頃地方では天災や疫病が相次ぎ、塩の専売制への反発も相まって1351年に紅巾の乱が発生。元朝の統治体制は急速に崩壊へ向かった。恵宗は次第に朝政への関心を失い、チベット仏教や詩文などの趣味に耽溺。さらに皇太子アユルシリダラによる政権奪取計画や軍閥同士の内紛が重なり、朝廷の統制力も喪失した。
1368年、朱元璋が建てた明の北伐軍が迫ると、恵宗は大都を放棄して上都へ逃亡。次いで応昌府へと逃れ、1370年5月23日にその地で崩御した。享年50。明は彼を天命に順じて北へ去ったという意味で「順帝」と追諡した。恵宗の死後、アユルシリダラが元のカアンに即位し、モンゴル高原を拠点とする北元として存続したものの、中国全土を支配した大元帝国としての歴史は終焉することととなった。
関連項目[編集]