敬帝 (南朝梁)
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敬帝(けいてい)とは、梁の5・7代目皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は方智(ほうち)。
543年、湘東王蕭繹(後の元帝)の第9男として生まれる。555年、父元帝は江陵で西魏軍に捕えられ処刑されるが、蕭方智は都建康に留まっていたため無事であり、部下の王僧弁や陳霸先に擁立され即位した。しかし、(東魏→)北斉に捕えられていた蕭淵明が北斉の支援を受けて梁に侵攻。北斉の軍事力に屈した王僧弁は敬帝を廃し、蕭淵明の帝位を認めた。しかし陳覇先がこれに反発し、王僧弁を倒して敬帝を復位させた。以後陳覇先が専横を極め、557年11月16日、遂に敬帝は彼に禅譲して南朝梁は滅亡した。558年5月5日、陳覇先が送った刺客に斬殺された。享年15。死の直前、「私は皇帝になる意思はもうないのになぜ殺されなければならないのか」と叫んだという。