陳霸先
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武帝(ぶてい)とは、陳の初代皇帝。姓は陳(ちん)、諱は霸先(はせん)。
503年に寒門の武人階級の家に生まれる。後漢時代の清流派官僚の代表人物陳寔の子孫を名乗るが信憑性は低い。梁の都建康で油の倉庫番をしていたが、農民反乱の鎮圧や侯景討伐などで頭角を表し、552年に征北将軍に任じられた。554年に元帝が西魏軍に処刑されると、実力者王僧弁と協力して敬帝を擁立。555年、王僧弁が北斉の圧力に屈して蕭淵明を皇帝に立てると、陳覇先は王僧弁を殺害し敬帝を復位させた。557年11月16日、朝廷内に敵のいなくなった陳霸先は敬帝に禅譲を迫り、皇帝に即位して陳を開いた。これにより約60年続いた南朝梁は滅亡した。しかし、西魏の侵攻により蜀の領土の大半を失陥した上、各地で梁や王僧弁の残党による反乱が起きておりその対応に忙殺された。559年8月9日に崩御。享年56。甥の陳蒨が文帝として即位した。