宣徳帝
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宣宗宣徳帝(せんそうせんとくてい)とは、明の5代目皇帝。姓は朱(しゅ)、諱は瞻基(せんき)。
1399年3月16日に皇太子朱高熾(後の洪熙帝)の長男として生まれる。1424年に祖父永楽帝が、翌年に父が相次いで崩御したため皇帝となった。これに対し、叔父の漢王が朱高煦が反乱を起こしたが、彼に人望が無かったこともあり鎮圧に成功。靖難の役の建文帝と同じ轍を踏むことはなかった。なお、漢王は壺に閉じ込められて炙り殺された。父の方針を継いで満州やベトナム北部などから撤退し、軍事費を削減した。内政にも力をいれたが、この過程で宦官の権力を強化したことが後の明に災いをもたらすこととなった。1435年1月31日に35歳で崩御。長男祁鎮が正統帝として後を継いだ。洪熙帝と宣徳帝の治世は仁宣の治と呼ばれ、後世には明の最盛期と評される。