ヌルハチ
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太祖天命帝(たいそてんめいてい)とは、清の初代皇帝。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)、諱は努爾哈赤(ぬるはち)。
生涯[編集]
1559年2月21日、現在の遼寧省撫順市で建州女直の愛新覚羅氏の元に生まれる。父はタクシ、母はエメチ。1568年に母が病死すると、父の再婚相手の継母と関係が悪化したため、外祖父王杲の元に身を寄せた。当時の明は女真族の結束を防ぐために離間策を用いて部族毎に争うように仕向けていた。この争いに巻き込まれる形で1574年に王杲が、1583年に父タクシと祖父ギョチャンガを相次いで失った。復讐に燃えるヌルハチは父と祖父の仇であるニカンの討伐を決意。1586年に兵を挙げ、ニカンを捕らえて首を刎ねた。ヌルハチは武勇に優れ人望の厚い人物であった。周辺部族を次々従えて1587年に建州女直を統一し、1613年ごろまでに満州のほぼ全域を支配下に置いた。1616年、大ハーンの位について後金を建国[1]し、明からの独立を宣言した。1618年には先の祖父殺害などを含む七条項からなる七大恨を発表、明へ宣戦布告した。これを知った明の万暦帝はヌルハチ征伐のため大軍を派遣、1619年に両軍はサルフの地で激突した。後金軍は明の半分以下の兵力だったが、砂嵐に紛れて奇襲攻撃を仕掛けることで大勝した。以後の明との戦いも優勢に進め、外モンゴルを従え満州八旗と蒙古八旗を創設して軍制を整えた。勢いに乗ったヌルハチは1626年に山海関を目指して親政を開始するが、道中の寧遠城の戦いで明軍の大砲攻撃により敗退。ヌルハチも背中に怪我を負い、同年9月30日に崩御した。享年67。8男のホンタイジが後を継いだ。
注釈[編集]
- ↑ ホンタイジの代に清に改称。