文成帝
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文成帝(ぶんせいてい)とは、北魏の4代目皇帝。姓は拓跋(たくばつ)、諱は濬(じゅん)。
生涯[編集]
440年6月、北魏の皇太子拓跋晃の長男として生まれる。452年に宦官の宗愛が拓跋晃と祖父太武帝を相次いで殺害し、太武帝の末子拓跋余を傀儡皇帝として祭り上げた。当然これに対し重臣らは憤慨し宗愛を誅殺。皇太孫だった拓跋濬を新たな皇帝(→文成帝)として即位させた。文成帝は親政を開始すると直ちに祖父の廃仏政策を廃止し、雲崗石窟造営を始めとする仏教振興策を推し進めた。なお、雲崗窟の大仏の一部は道武帝以降の北魏の歴代皇帝の容姿に似せて造られたとされる。戦争で疲弊した国力の回復にも努めたが、465年6月20日に若くして崩御した。享年25。長男の拓跋弘が献文帝として後を継ぎ、寵妃の馮太后が摂政の座についた。
関連項目[編集]