恭帝(きょうてい)とは、東晋の11代目にして最後の皇帝。姓は司馬(しば)、諱は徳文(とくぶん)。
386年に孝武帝の次男として誕生。英明かつ熱心な仏教信徒でもあり、知的障害を持つ兄の司馬徳宗(安帝)の補佐に努めたが、419年1月、専横を振るう将軍劉裕の手で安帝は暗殺されてしまう。劉裕は次の皇帝に徳文を担ぎ出したが、もはや簒奪の下準備でしかないことは誰の目にも明らかであった。420年7月7日、恭帝は劉裕に帝位を禅譲し、司馬炎が創始した晋朝は約120年で滅亡した。恭帝は劉裕に零陵王に封ぜられたが、約1年経った421年11月10日に殺害された。享年35。
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