孝静帝
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孝静帝(こうせいてい)とは、東魏の唯一の皇帝。姓は元(げん)、諱は善見(げんけん)。
524年、清河王元亶(孝文帝の孫)の息子として誕生。534年、孝武帝が渤海王高歓の排除に失敗し、報復を恐れて長安に逃亡する事件が起こった。これにより北魏の都洛陽に皇帝が不在という異常事態となったため、高歓はやむを得ず11歳の善見を新たな傀儡皇帝に擁立した。これにより華北には2人の皇帝が並立することとなり、北魏は東西に分裂した。547年、高歓が死去。後を継いだ長男の高澄は傲慢な性格の持ち主で、孝静帝を度々侮辱した。耐えかねた孝静帝は高澄の暗殺を企んだが、計画が露見し関係者は全て処刑された。549年に高澄が奴隷の蘭京により殺害されると、継いで権力を掌握した弟の高洋は孝静帝を脅迫し、550年6月7日に禅譲の儀式が執り行われた。これにより東魏は一代で滅亡し、新たに北斉が成立した。帝位を追われた善見は中山王に封じられたが、552年1月21日に毒殺された。享年28。北斉に残った元氏も後に高洋の命で皆殺しとなった。