武帝 (北周)
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武帝(ぶてい)とは、北周の3代目皇帝。姓は宇文(うぶん)、諱は邕(よう)。
生涯[編集]
543年、北周皇室の祖である宇文泰の4男として誕生。北周では557年の建国以来、孝閔帝・明帝が権臣宇文護の手により相次いで殺害されており、560年5月31日に宇文邕が3人目の皇帝(武帝)に擁立された。武帝は暗愚な人物を演じることで宇文護を油断させ、572年に同母弟宇文直と図って宮城内で宇文護を誅殺。親政を開始した。574年、武帝は寺院の破壊及び財産の没収と、僧侶を強制的に還俗させる大廃仏を行った。これにより徴税・徴兵可能人口が増加したことで北周の財政の健全化し、軍隊は大幅に増強された。翌575年、満を持して隣国北斉への侵攻を開始。軍紀の緩み切った北斉軍は敗退を重ね、577年に都・鄴が陥落した。上皇高緯と皇帝高恒は逃亡を図ったが捕らえら、北斉は滅亡。北魏の東西分裂以来40年ぶりに華北が統一された。武帝はさらなる領土拡張を目指し、南朝の陳からも領土を奪取した。続いて北方の突厥討伐のための親征を計画したが、出発直後の578年6月21日に病気で崩御した。享年36。長男の宇文贇が後を継いだ。
その他[編集]
廃仏政策により仏教徒の間で恨みを買い、死後に地獄で罪悪感に苛まれ、楊堅に仏教政策を勧めるという説話が作られた。
関連項目[編集]