孝武帝(こうぶてい)とは、劉宋の4代目皇帝。姓は劉(りゅう)、諱は駿(しゅん)。
430年9月19日に生まれる。父は文帝。453年2月、兄劉劭が文帝を殺害して帝位を簒奪すると敵討ちのため挙兵。建康を陥落させ、兄を捕らえて処刑した。孝武帝は皆殺しにした兄の一族の頭蓋骨で造ったタワーを眺めて満足する、すぐ大臣を殺しなどの逸話が残る残虐な性格だった。また28人もの子供をもうけ、母とも肉体関係を持つ好色家でもあった。奢侈を好み、税を重くしたことで劉宋衰退の遠因を作り、464年7月12日に崩御した。享年33。長男の劉子業が次の皇帝となった。
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