宣帝 (陳)
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宣帝(せんてい)とは、陳の4代目皇帝。姓は陳(ちん)、諱は頊(さ)。
530年8月14日、後に陳の創始者となる陳霸先の甥として生まれる。554年、西魏軍の侵攻により江陵が陥落。梁の元帝は処刑され、陳頊は捕虜として連行された。陳の建国後の562年に帰還を許され、566年に兄の文帝が崩御する際に皇太子陳伯宗の後事を託された。しかし、この遺言が守られることはなく568年に陳伯宗を退位させ、自らが皇帝に即位した。宣帝は陳の国力底上げに取り組んだが、それを上回るペースで華北の北周が増長しており徐々にやる気を無くしていった。578年に呂梁の戦いで敗北して北周に領土の大半を奪われ、4年後の582年2月17日に崩御した。享年51。長男の陳叔宝が帝位を継いだ。なお、宣帝はかなりエネルギッシュだったようで約40人の男子がいた模様。