文帝 (西魏)
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文帝(ぶんてい)とは、西魏の初代皇帝。姓は元(げん)、諱は宝炬(ほうきょ)。
507年に北魏孝文帝の皇子元愉の子として生まれるも、1歳の時に父が反乱を起こしたことで幽閉された。幽閉を解かれた後も朝廷内の政争に巻き込まれ続ける日々を過ごした。533年、孝武帝が高歓との対立に耐えかねて宇文泰の構える長安へ出奔すると、宝炬は孝武帝に付き従い宇文泰の元に身を寄せた。535年2月に孝武帝は宇文泰の手で毒殺され、宝炬が新皇帝(→文帝)に擁立された。これにより高歓の傀儡の孝静帝と宇文泰の傀儡の文帝(宝炬)が華北に並立することとなり、北魏は東魏と西魏に分裂した。当初西魏は国力の面で東魏に圧倒的に劣っており、領土を相次いで失陥した。しかし537年以降には反撃に転じ、一時旧都洛陽を奪還した。その後戦線は膠着し、551年3月28日に文帝は病により崩御した。享年44。長男の元欽が後を継いだ。