太武帝
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太武帝(たいぶてい)とは、北魏の3代目皇帝。姓は拓跋(たくばつ)、諱は燾(とう)。
生涯[編集]
華北統一[編集]
408年、北魏の2代目皇帝明元帝の長男として誕生。423年に父が没したことで15歳で玉座についた。即位当初から積極的な外交政策を打ち出し、431年に赫連勃勃が建てた夏を攻め滅ぼした。436年に北燕を、439年に北涼を相次いで併合し、西晋滅亡後140年に渡って分裂状態にあった華北の再統一を成し遂げた。これ以降、中国は建康(南京)を首都とする「南朝」と北魏から始まる「北朝」が睨み合う「南北朝時代」に突入することとなる。太武帝は北方遊牧民柔然との戦闘も優位に進め、北辺防衛のために6ヶ所の軍の駐屯地(六鎮)を設置した。
廃仏断行[編集]
444年、漢人宰相崔浩と道士寇謙之が権力拡大のため結託し、彼らと敵対する仏教の排除を献策した。仏教僧が反乱勢力と結びついていると考えていた太武帝はこれを受け入れ、446年に廃仏の詔を下した。これは後の世で三武一宗の法難と呼ばれる廃仏事件のうち最初の一つで、各地の寺院は破壊され僧侶は虐殺された。他方、450年に南征を実施し南朝宋から多くの領土を奪った。
最後[編集]
晩年の太武帝は次第に人間不信に陥り、450年に北魏の史書編纂に関して難癖をつけて[[[崔浩]]ら漢人官僚を大量に処刑した(jawp:国史の獄)。451年、皇太子拓跋晃が対立する宦官の宗愛によって死に追いやられる事件が発生する。ことの発覚を恐れた宗愛は452年3月11日に太武帝を殺害した。享年48。孫の拓跋濬らが宗愛を討ち、文成帝として後を継いだ。
関連項目[編集]