拓跋珪
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道武帝(どうぶてい)とは、北魏の初代皇帝。姓は拓跋(たくばつ)、諱は珪(けい)。
371年8月4日、鮮卑拓跋部が建てた代国の王族に生まれる。父拓跋寔は拓跋珪が生まれた年に内紛で殺害され、376年には代が前秦の苻堅の攻撃で滅亡した。拓跋珪は親戚の元に身を寄せて育つが、前秦が東晋との戦いに敗れて空中分解すると代の遺民を束ねて自立し、386年にモンゴル高原の盛楽で魏王に即位した。周りの遊牧民との戦闘に勝利して河北に進出し、398年に現山西省の平城に遷都。北魏の皇帝を名乗った。以後は漢民族文化の採用と中央集権化に力を入れるが、やがて向精神薬・五石散の乱用によって精神異常をきたすようになった。鮮卑系にルーツを持つ北魏では異民族との通婚が多く、拓跋珪は外戚の政治介入による混乱を防ぐために「子貴母死」(皇太子の実母を処刑する習慣)の制度が作った。しかし、これにより母の身を案じた次男の拓跋紹がクーデタを起こし、409年11月6日に殺害された。享年39。拓跋紹を倒した長男の拓跋嗣が2代目皇帝に即位した。