成帝(せいてい)とは、東晋の3代目皇帝。姓は司馬(しば)、諱は衍(えん)。
321年、東晋の皇太子司馬紹(後の明帝)の長男として誕生。325年に父帝が崩御したことで僅か4歳で帝位を継いだ。327年に軍閥の大規模な反乱が起き、都の建康が落とされたことで一時虜囚の身となった。反乱鎮圧後、親政を開始すると後趙への出兵を行ったが大した成果は得られなかった。342年7月26日に病気が原因で崩御。享年21。2人の皇子がいたがこの時点ではまだ幼かったため、弟の司馬岳を後継者に指名した。成帝は質素な生活を好んでおり、金40両を惜しんで射撃場の建設を中止したこともあった。
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