明帝 (南朝斉)
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明帝(めいてい)とは、南朝斉の5代目皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は鸞(らん)。
452年、後に斉の初代皇帝となる蕭道成の兄の子として生まれる。父の死後は叔父・蕭道成に養育され、2代目武帝死後はその孫で3代目の蕭昭業に変わって政治を取り仕切った。490年に蕭昭業を殺害してその弟の蕭昭文を帝位につけるがすぐに廃位。自らが帝座に座った。猜疑心の強い性格の明帝は武帝の子孫を皆殺しにした。とはいえ彼は熱心な仏教信者だったので、処刑を決めると焼香しながら慟哭したという。粛清の嵐で朝廷は大いに乱れ、北魏が侵攻してきたことで領土を失った。498年9月1日に崩御。享年46。次男の蕭宝巻が次の皇帝になった。
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