景泰帝
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代宗景泰帝(だいそうけいたいてい)とは、明の7代目皇帝である。姓は朱(しゅ)、諱は祁鈺(きぎょく)。
1428年9月21日に生まれる。父は宣徳帝で、次男である。1449年、兄正統帝が土木堡でエセン率いるオイラト軍に捕えられる事件(土木の変)が発生。このモンゴルの脅威に対処するため、皇太后の命により弟の祁鈺が急遽新たな皇帝に即位した。景泰帝は奸臣の宦官王辰らを誅殺し、于謙らを登用して北京の防衛を強化した。激戦の末明軍はオイラト軍を追い払うことに成功し、1450年に講和が結ばれた。これにより正統帝が返還されたが、景泰帝は兄を復位させず軟禁した。しかし、1457年に景泰帝が病床に臥すと先帝の奸臣らが政界復帰を目論みクーデタを起こした。于謙らは殺害され、景泰帝は廃位。正統帝が天順帝として復辟した。景泰帝は抵抗することもできずそのまま病死した。享年30。暗殺疑惑もある。