哀帝(あいてい)とは、東晋の6代目皇帝。姓は司馬(しば)、諱は丕(ひ)。
341年、東晋の3代目皇帝成帝の長男として生まれる。司馬丕が2歳の時に父帝が崩御するが、幼すぎるということで叔父の司馬岳(康帝)が皇帝となった。その後康帝とその息子の穆帝が相次いで崩じたことから361年7月13日に司馬丕が6代目の皇帝に即位した。しかし、実際の政治の実権は北伐で功のあった将軍桓温と叔父の司馬昱が掌握していたため、傀儡に過ぎなかった。やがて哀帝は仏教や道教にのめり込むようになり、丹薬の中毒症状によって365年3月30日に崩御した。享年24。弟の司馬奕が後を継いだ。
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