和帝(わてい)とは、南朝斉の7代目皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は宝融(ほうゆう)。
488年、明帝の8男として誕生。501年、蕭衍率いる暴君蕭宝巻に対する反乱軍に対立皇帝として担ぎ出された。同年末に蕭宝巻が殺され名実共に斉の皇帝となったが、3ヶ月後に蕭衍に禅譲させられ、斉は滅亡。新たに南朝梁の世が始まった。その後の5月2日、蕭衍の差し向けた刺客に絞め殺され、処刑された。享年14。