嘉慶帝
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仁宗嘉慶帝(じんそうかけいてい)とは、清の7代目皇帝。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)、即位後の諱は顒琰(ぎょうえん)。
1760年11月13日に生まれる。父は乾隆帝で、15人目の男子であった。1795年、乾隆帝が85歳で生前退位すると、顒琰が嘉慶帝として即位した。当初は上皇の父が権力を握っていたが、1799年に崩御したことで親政を開始した。手始めに賄賂によって国家予算10年分余りを蓄えていた奸臣へシェンを誅殺した。当時の清は乾隆帝の治世後半から進んでいた官僚の腐敗と財政の悪化、軍の弱体化が深刻化しており、嘉慶帝はこれらの解決を図った。しかし税の取り立てを強化したことで反乱が頻発。特に1796年から1804年まで続いた白蓮教徒の乱で国庫が底をついたほか、1813年の天理教の乱では一時紫禁城を占領される前代未聞の事態となった。肥満により、1820年9月2日に避暑地で崩御した。享年59。次男の綿寧が道光帝として後を継いだ。