ホンタイジ

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太宗崇徳帝(たいそうすうとくてい)とは、の2代目皇帝。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)、諱は皇太極(ほんたいじ)。

生涯[編集]

1592年11月28日に生まれる。父は太祖ヌルハチ、母はモンゴ・ジェジェ。1626年、ヌルハチの死により後金の皇帝に即位。ホンタイジは明を攻略する前に周辺諸国の制圧に取り掛かった。1632年に内モンゴルのチャハル部を制圧し、の皇帝の玉印を手に入れた。また1636年には李氏朝鮮を大軍で攻め服属させた。

ホンタイジは異民族統括のため理藩院を設置したほか、中華風の官僚制度を整え国号を後金から清に改めた。1643年李自成の反乱に乗じて明との戦争を再開し、大軍を差し向けたが同年8月9日に脳出血で倒れ急逝した。享年50。9男のフリンが順治帝として後を継いだ。

先代:
ヌルハチ
大清帝国皇帝
2代
次代:
順治帝