熹宗天啓帝(きそうてんけいてい)とは、明の16代目皇帝。姓は朱(しゅ)、諱は由校(ゆうこう)。
1605年12月23日に生まれる。父は後の泰昌帝。1620年、父帝が在位1ヶ月も経たず急死したため明の皇帝に即位した。当時、宦官の魏忠賢が専横を極めており、後金の侵入や農民反乱が頻発していた。天啓帝は政治に全く関心を持たず土木工事に熱中し、自ら大工として働いたこともあったという。1627年9月30日に崩御。享年21。嫡子は全て夭折していたため弟の由検が後を継いだ。