孝武帝 (東晋)
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孝武帝(こうぶてい)とは、東晋の9代目皇帝。姓は司馬(しば)、諱は曜(よう)。
生涯[編集]
362年に会稽王司馬昱(後の簡文帝)の6男として生まれる。372年9月に父帝が危篤に陥ると、朝廷の有力者桓温が禅譲を目論むが謝安ら侍従たちの奮闘により頓挫。10歳の司馬曜が孝武帝として即位した。桓温はまもなく失意のうちに没したが、今度は謝安らが増長し初めたため孝武帝は実権を掌握できなかった。383年11月30日、前秦の120万近い侵攻軍を僅か8万の東晋軍が淝水の地で破り、東晋は建国以来の最盛期を迎える。しかし、この頃から孝武帝は政治への関心を無くし、酒色に溺れて後宮に引き篭もるようになった。396年11月16日、酒宴を開いた孝武帝は寵妃に酒によって「君はもう歳をとってしまったから、朕はもっと若い女が欲しい」と冗談を言った。これを真に受けた彼女は自分が廃されるのを恐れ、宦官を買収して泥酔していた孝武帝を窒息死させた。享年34。長男の司馬徳宗が後を継いだ。
関連項目[編集]