正徳帝
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武宗正徳帝(ぶそうせいとくてい)とは、明の11代目皇帝。姓は朱(しゅ)、諱は厚㷖(こうしょう)。
1491年10月26日に生まれる。父は弘治帝。幼少期の厚㷖は学問と武芸に秀でた少年だったが、次第に暗君としての素質を表すようになった。1505年に父帝が医療事故で崩御したため帝位についたが、政治は遊び相手の宦官劉瑾に丸投げし、自身は淫楽三昧の生活を送った。「豹房」と呼ばれる建物を宮殿内に設置してチベット仏教の経読と美女との情事に耽り、親征と称して各地へ美女漁りの旅に出た。また、火が好きだったらしく紫禁城が火事になった際には「なんと美しい花火だろうか」と言ったという。1521年4月20日、水遊び中に船が転覆して川に落ち、それが原因で病気を患い崩御した。享年30。彼には世継ぎとなる男子がいなかったため、傍系の朱厚熜が嘉靖帝として即位した。