閔帝(びんてい)とは、南朝梁の6代目皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は淵明(えんめい)。
生年は不詳。武帝の甥であり、543年に侯景と共に東魏軍と戦うが失態を犯して捕虜になる。その後梁は侯景の乱で大混乱状態に陥り、555年、影響力拡大のチャンスと見た東魏改め北斉の文宣帝は蕭淵明を建康に送り込んだ。北斉は梁の重臣王僧弁を恐喝して敬帝を退位させ、蕭淵明を強引に帝位につけさせた。しかし、もう一人の重臣陳覇先がこれに反発し、王僧弁を攻め滅ぼし敬帝が復位した。廃位された蕭淵明は病気になり556年6月2日に死去した。
|