簡文帝(かんぶんてい)とは、東晋の8代目皇帝。姓は司馬(しば)、諱は昱(いく)。
320年、初代皇帝元帝の末子として誕生。元帝の崩御後の東晋は若くして崩じる皇帝が相次いだため、司馬昱が摂政として政務を取り仕切ったが、やがて北伐で功を挙げた将軍桓温 が朝廷一の実力者の地位を奪われていった。372年1月、当時の皇帝司馬奕が不能の疑惑をかけられ桓温に廃位され、大叔父の司馬昱(→簡文帝)が代打として担ぎ出された。当時すでに高齢だった簡文帝はまもなく体調を崩し、死の床で桓温への禅譲も考えたが結局息子の孝武帝を世継ぎに指名し、9月12日に崩御した。享年52。
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