蕭道成
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高帝(こうてい)とは、南朝斉の初代皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は道成(どうせい)。
427年、寒門の軍人階級の家に生まれる。前漢の名宰相蕭何の子孫を自称したが明確な証拠はない。北魏との戦闘で武功を挙げて劉宋の明帝から驍騎将軍・陽州知事に任じられた。472年に明帝が崩御しその息子の後廃帝が即位すると叔父の劉休範が反乱を起こすがこれを鎮圧した。この功績により蕭道成は禁軍の司令官に就任、軍事権を掌握し専横を極めた。477年、後廃帝は彼を処刑しようと画策するが、企みが露見して逆に廃位された。蕭道成は後廃帝の弟の劉準を順帝として擁立し、479年に禅譲を迫って皇帝に即位(→高帝)した。これにより劉宋は滅亡、南朝斉の時代が始まった。高帝は宋の帝室を皆殺しにして王朝の安定化を図ったが、482年4月11日に在位3年で崩御した。享年55。長男の蕭賾が後を継いだ。