廃帝 (東晋)
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廃帝(はいてい)とは、東晋の7代目皇帝。姓は司馬(しば)、諱は奕(えき)。
342年、成帝の次男として生まれる。同年父帝が亡くなり、その後2代を挟んで帝位を継いだ兄の哀帝も365年に丹薬中毒で崩御。司馬奕が帝位に担ぎ出された。この頃東晋の朝廷では将軍の桓温が専横を極めていたが、371年に前燕に大敗し洛陽を失陥したことで失脚を恐れ、帝位の簒奪を画策した。翌年、桓温は皇太后に司馬奕が不能であると訴え、これを信じた彼女らにより1月6日に廃位された。大叔父の簡文帝が新たな皇帝に擁立された。その後、司馬奕は酒乱に陥ったふりをして処刑を免れ、386年11月23日に呉の地で死去した。享年44。
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