蕭宝巻
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廃帝東昏候(はいていとうこんこう)とは、南朝斉の6代目皇帝。姓は蕭(しょう)、諱は宝巻(ほうかん)。中国史を代表する暗君の一人。
生涯[編集]
483年、蕭鸞(後の明帝)の次男として生まれる。498年に父帝が崩御すると、長男は夭折していたため15歳で皇帝に即位した。後述の通り有能な家臣を殺害して愛妾や宦官を近くに侍らせ暴政を敷いたため反発を買い、500年に家臣らによる大規模な反乱が起こった。この反乱は同族の将軍蕭懿の活躍により鎮圧されたが、今度は宦官の讒言を信じて彼を自殺に追いやった。これに激怒した蕭懿の弟蕭衍が都建康を包囲。建康城内は餓死者も出る悲惨な状態だったが、蕭宝巻は気にもせず奢侈に溺れていた。最終的に部下に裏切られ、501年12月31日に殺された。享年18。弟の和帝が蕭衍の傀儡として後釜に据えられた。
エピソード[編集]
- 父明帝の葬儀の際、家臣の帽子が脱げて禿頭が露出したのを見て大笑いした。
- 行幸の際、民衆を馬で踏みつけた。
- 愛妾と情事に耽りながら馬車で市中に繰り出した。この際蕭宝巻らの姿を見たものは容赦なく殺された。
- 妊婦を木に縛りつけ、自ら腹を掻っ捌いた。
- 夢で明帝に叱りつけられたことで父に激怒し、父を模した藁人形を作って斬首した。
- 幼馴染の潘玉児を寵愛した。蕭宝巻は宮廷の庭を黄金の蓮の花で敷き詰め、その上を彼女に歩かせたという。
関連項目[編集]