武成帝
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武成帝(ぶせいてい)とは、北斉の4代目皇帝。姓は高(こう)、諱は湛(たん)。
537年、東魏の権臣高歓の9男として生まれる。美形だったが、兄達と同じく残虐な性格の持ち主でもあった。561年、兄で北斉皇帝の孝昭帝が危篤に陥った。孝昭帝は自身の息子の高百年がまだ若いことから帝位を簒奪されることを恐れ、先手を打って病床で高湛を後継者に指名した。孝昭帝は高百年は見逃してほしいと嘆願したが、高湛(→武成帝)は即位すると直ちに甥を見つけ出して処刑した。孝昭帝は政務を奸臣の和士開に丸投げし、自身は奢侈や酒色に熱中した。兄である故文宣帝の妃に肉体関係を迫り、彼女が娘を産むと裸で鞭打ちした上に川に放り投げたこともある(なお、彼女は生還し寺で保護された。)。565年6月8日に息子の高緯に譲位し自身は太上皇帝となった。569年1月13日に崩御。享年32。