漢字
漢字 (かんじ) は、主に東アジアで用いられている文字の一種。現在の中華人民共和国に当たる地域で発明された。
概要[編集]
地中海沿岸のオリエント地域で誕生したフェニキア文字と同じように、絵を簡略化、図形化したものを文字として用いている。一般的に使用されるラテン文字は26文字、仮名は50文字であるのに対して漢字は10万文字を超えており、世界で最も大きい文字体系として知られている。
東アジアの広い範囲で用いられてきた歴史があるが、その理由の一つとして、かつての中華文明には、自らの国家が世界の中心であるという中華思想があったためである。この中華思想の観点から、世界の中心と自負し、実際に当時の列強とも言うべき中華文明で用いられていた文字が周辺国家にも普及したことは必然である。この歴史的に漢字を用いてきた文化 圏を、漢字文化圏という。
漢字の名称は、漢字でそれぞれ「漢」が中国にあった王朝、「字」が文字を表しており、あわせて「中国の文字」という意味である。
特徴[編集]
漢字は簡略化された絵から発展して誕生したため、本質的には表意文字であり、一文字一文字に固有の意味が存在する。しかし後年に、より漢字を増やして多くの概念を文書上で扱えるようにするため、意味を表す部位と音を表す部位を組み合わせた形声文字などが創り出された。
構造原理「六書」[編集]
漢字の構造原理は、漢の時代に「六書」へ整理され、以下の六種類からなった。この成立過程・用法による分類法は現在でも、日本を含む漢字文化圏において広く用いられている。
造字原理[編集]
- ものの形をかたどって作ること。
- 象形文字の例:「日」「月」など
- 指事
- 図や記号を用いて概念的な要素を表すこと。
- 指事文字の例:「上」「下」など
- 会意
- 象形文字や会意文字の意味のみを組み合わせ、新しい意味を持たせること。
- 会意文字の例:「武」「信」など
- 形成
- 象形文字や会意文字の意味や音を組み合わせ、新しい意味を持たせること。
- 形成文字の例:「江」「河」など
運用原理[編集]
- なんと、不明。
- 同音・近音の別義字を借りて、文字のない語をその字で記すこと。通仮ともいう。
- 仮借の例:「令」「長」など
周辺への影響[編集]
中国の地方部や周縁国家においては漢字を独自に発生させた字も作られ、それらを方言字や国字といった。また遊牧民などの他文化民族が漢字の基礎や造字法(構造原理)を借りて、新たに文字体系を作った例も見られた。それらを擬似漢字という。漢字の派生文字は知名度の低さなどからロマンある研究の対象として見られている。
しかし近代以降は複雑化した漢字を廃して表記体系を移行したり、筆画を減らして簡略化する運動も起こった。
日本[編集]
日本列島(倭)の文化圏においては、紀元後57年に九州島の奴国へ送られたとされる漢委奴国王印が最古の史料である。
統一国家としての日本では古代に初の歌集である万葉集が成立し、その中の歌には万葉仮名という漢字から音の成分のみを抽出した表記が用いられた。この万葉仮名が発展し、草書体で表されたのが平仮名であり、漢字の一部のみを抜き取って表されたのが片仮名である。つまり根源的には、仮名は漢字の一種である。この仮名によって漢字仮名交じり文が誕生し、日本語の表記体系が確立された。他には、特に魚類や植物に対しては国字が発達した。
日本においては欧米文化の流入(脱亜入欧)が顕著であった明治時代に漢字簡略化・廃止論が叫ばれるようになり、一部においては日本語そのものを廃止し、すべてフランス語で表記しようと主張する者もいた。その一方、文明開化期の技術流入において新たに漢語の熟語(和製漢語)が制作され、ヨーロッパ的価値観を容易に受容するきっかけとなった。
漢字の廃止が本格的に検討されるようになったのは戦後のGHQ占領下であり、当初はラテン文字(ローマ字)表記への統一が計画されていた。そこで移行段階として、当分の間使用する当用漢字が定められた。しかし庶民の識字率の高さなどから廃止は見送られ、あくまでも日常的に使用する漢字としての常用漢字に改編されて現在に至る。
じっさい、ひらがなやカタカナだけでにほんごをきじゅつしようとすると、ひじょうにふくざつなものとなり、よみにくいし、さらにごくがどのいみでもちいられているのかのとくていもしずらくなる。このようにひらがなやカタカナだけでぶんしょうをよむことで、かんじのもつゆうようさ、りべんせいがよりきわだつだろう。
朝鮮半島[編集]
朝鮮半島においては、中国に近かったことから楽浪郡の設置などによりいち早く漢字の受容が進み、7世紀の新羅の統一によってより漢化がすすめられた。その間に吏読および郷札という表音法が確立されたほか、日本の片仮名に先駆けて、漢字の一部分を切り取った表音文字も用いられた。
ハングルの誕生により漢字ハングル交じり文が誕生するとそちらが主体的に用いられ、朝鮮民主主義人民共和国においては1949年、大韓民国においては1980年代まで漢字が用いられた。
以降、朝鮮語・韓国語の表記は一部の場合を除いてハングルで表記されるが、学校教育では依然として康煕字典をもとにした漢字教育が行われている。
ベトナム[編集]
紀元前3世紀以降、ベトナムは中国の一部であり、1000年以上の支配を受けたことで漢字が定着した。呉朝の成立により直接支配を脱した後も依然として中国の文化を取り入れ続け、ベトナム語を表記する独自の漢字としてチュノム(字喃)が用いられた。
しかしフランスによる植民地支配がはじまると従来の上流階級を没落させるために漢文や漢字の使用を禁止し、フランス語を公用語とした。現在のベトナム語はラテン文字のクォック・グーを用いて表記されており、漢字は用いられていない。しかし依然として語句は漢語中心であり、漢語文化圏には属している。
派生文字の一覧[編集]
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歴史[編集]
殷代[編集]
伝承や説話としての漢字の起源は、紀元前4000年代に蒼頡という人物が発明したとされる。蒼頡は文官であり、他の古代文明でも見られるようなビーズを糸につける方法を用いて記録を行っていた。しかし、あるときに「絵を直線的にしたものを書けば、より記録作業が効率化できるのではないか」と考えつき、初の漢字である象形文字を、その後に指事文字と会意文字を作った。このことから蒼頡は聖人として崇められている。
しかし実際にはそのような「発明者」は存在せず、中華文明たる黄河文明が発展していくにつれて誕生したのだと考えられ、蒼頡は伝説上の人物であるというのが通説である。
はじめの漢字の用途は、占い結果の記録であった。古代では占いや祈祷といったスピリチュアルなものは重要視されていたため、その結果を記録することにも意義があった。この時の中国では亀卜という亀の甲羅を加熱してその割れ目を鑑みる占いが盛んであり、その甲羅に直接漢字で占い結果が書かれたのである。この頃の漢字は今の字体とは程遠く、甲骨文字 (甲骨文) と言われていた。亀の甲羅に書いていたので、直線的な字体であった。
その後中国が青銅器時代を迎えると、甲骨文字に丸みを加えて金属製の壺など書きやすくした「金文」が登場した。現在の河南省安陽市にあった殷王朝の遺跡である殷墟からは、甲骨文字と金文が記された文献が大量に出土している。
秦代[編集]
金文は殷代においては短い記述にしか用いられていなかったが、周代になると長い文章にも使われるようになり、広く普及した。春秋戦国時代になり諸国が分立すると、文化の連結性も絶たれ異体字が乱立した。例えば、西周の太史であった籀は、自身が編纂した書物で金文を発展させた「籀文」を用いた。なお、この戦国時代に貴族階級が没落し、
更に時代が下ると、西周を滅ぼした秦の始皇帝は表記の統一政策を進め、李斯により「小篆」が確立した。全時代のそれにくらべてある程度洗練された簡単な文字となったので、広く公文書で使われた。
隷書の広がり[編集]
篆書は下級役人や一般庶民にとって難解で、筆記を煩わせる原因となったため、彼らは非公式に、篆書を崩した「隷書」を用い始めた。漢代初期にあたる紀元前2世紀には「隷変」が起き、中国語の一般表記が篆書から隷書へと徐々に移り変わっていった。
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関連項目[編集]
- 筆順
- 幽霊文字
- 小学校で習う漢字
- 読み方が分からない漢字の調べ方
- 2つ以上の読み方がある熟語の一覧
- 漢字文化圏
- 漢字の日
- 厚切りジェイソン - アメリカ人から見た漢字の不可解さをネタに日本で活動する漫談家。実は漢字おたくと言っていいほど漢字に詳しい。