寧宗 (宋)
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寧宗(ねいそう、Ningzong)は、南宋の4代目皇帝。姓は趙(ちょう)、諱は拡(かく)。
1168年11月18日、南宋の皇太子趙惇(後の光宗)と李鳳娘の間に生まれる。1194年7月24日、病弱だった父帝が韓侂冑・趙汝愚・呉氏(高宗の后)らによりクーデタで廃位され、次男の趙拡が新皇帝となった。寧宗自身は清貧で英明な人物であったが、政治の実権はその治世下において終始権臣に握られていた。初期には寧宗の皇后と同族であり即位の立役者でもある韓侂冑が専横した。韓侂冑は北伐の失敗を機に1207年11月3日に誅殺されたものの、次いで史弥遠が国政を掌握した。1224年9月17日、56歳で崩御。寧宗の男子は皆夭折していたため、生前に養子の趙竑を皇太子に立てていたが、趙竑と折が悪かった史弥遠はなんと寧宗の遺詔を偽造し、自身の息のかかった趙昀を擁立してしまうのだった。