太宗 (金)
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太宗(たいそう)とは、金の2代目皇帝。諱は呉乞買(うきまい)。諡号は体元応運世德昭功哲恵仁聖文烈皇帝(たいげんおううんせいとくしょうこうてつけいじんせいぶんれつこうてい)。
1075年11月25日に生まれる。1123年9月、同母兄の阿骨打(太祖)が死去したため後を継いで金の2代目皇帝に即位した。穏健な先帝と異なり気性が荒く、同盟関係にあった北宋が盟約を反故にしたことで激怒。1126年に都開封を包囲した。恐れ慄いた北宋皇帝の欽宗は莫大な歳貢を納めることでなんとか和平に漕ぎ着けた。しかし、金軍が撤退すると再び北宋の態度が硬化したため、1127年に再度南征を行い開封を攻め落とした。欽宗皇帝・徽宗上皇を始めとする宋の皇族は悉く北方に連行され北宋は滅亡した(靖康の変)。この他にも中央アジアに逃れた遼の皇族の耶律大石を追撃する形で西方の西夏を支配下に置き、東の高句麗も服属させるなど、太宗の時代に金の領土は急速に拡大した。1135年2月9日に60歳で崩御。阿骨打の孫とされる完顔合刺が後を継いだ。