哲宗 (宋)
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哲宗(てつそう)は、北宋の7代目皇帝。姓は趙(ちょう)、諱は煦(く)。
1077年1月4日に誕生。1085年、父神宗の死去により帝位を継いだ。当時8歳だった哲宗に代わり、祖父英宗の妃である宣仁太后が摂政として垂簾聴政を行った。彼女は旧法党の一員だったこともあり、王安石が制定した新法を廃止し、彼の支持者を弾圧した。しかし1093年に哲宗が親政を開始すると新法を復活させ、逆に旧法党を政権中枢から退けた。こうして短期間で二度も政策転換が行われた結果、官僚達の間では党派対立が激化。社会にも混乱が広がり、北宋衰退の遠因となったとされる。結局哲宗は1100年2月23日に23歳で崩御した。男子は皆夭折していたため、弟の趙佶が新たに即位した。