世宗 (金)
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世宗(せいそう)とは、金の5代目皇帝。諱は烏禄(うる)。諡号は光天興運文徳武功聖明仁孝皇帝(こうてんこううんぶんとくぶこうせいめいじんこうこうてい)。
生涯[編集]
即位まで[編集]
1123年3月29日に生まれる。父は太祖の5男のオリド。1150年に即位した従兄弟の海陵王は女色を好む暴君で、烏禄の正妻・烏林荅氏を宮廷に召して関係を迫った。烏林荅氏はこれを拒んで自殺してしまうが、烏禄は不満を表に出さず暗愚な人物を演じることで粛清を免れた。1161年、海陵王は南宋を滅ぼすべく大軍を率いて親征を開始。これを好機と捉えた反海陵王の貴族達がクーデターを起こし、東京遼陽府に於いて温和で人望の厚かった烏禄を新皇帝(世宗)に擁立した。廃位された海陵王は憤慨したが、まもなく陣中で契丹の武将に暗殺された。
大定の治[編集]
世宗は混乱に漬け込んで北上してきた南宋軍を撃退し、和約を結んで戦を終結させた。この頃の南宋の皇帝は明君とされる孝宗であり、以後40年に渡って両国の間に平和が保たれた。孫の麻達葛を後継者に指名し、1189年1月20日に崩御した。享年66。世宗は貧窮した財政の再建と漢人文化の導入に力を注ぎ、金朝は建国以来最も安定した時期を迎えたため、後の世で世宗は「小堯舜」とも呼ばれ、その治世は「大定の治」と称えられた。
余談[編集]
即位した世宗は自殺した烏林荅氏を皇后に立て、明徳皇后と追謚した。彼はその後別の皇后を立てることはなかったという。
関連項目[編集]