孝宗 (宋)
ナビゲーションに移動
検索に移動
孝宗(こうそう、Xiaozong)は、南宋の2代目皇帝。姓は趙(ちょう)、諱は眘(しん)。
1127年11月27日に生まれる。父は太祖趙匡胤の六世の孫である秀安僖王趙子偁。南宋の初代皇帝高宗は男子が皆夭折していたため、縁戚にあたる趙眘が養子に迎えられた。1162年7月24日に高宗からの譲位を受けて即位し、太祖の子孫で初めて皇帝となった。孝宗は南進してきた海陵王率いる金の大軍を撃退。北への逆侵攻を試みたが、海陵王に代わって立った世宗に食い止められ、戦線は膠着状態となった。結局領土は取り返せなかったものの、1165年に結ばれた和議により南宋から金への歳貢を軽減させることに成功した。内政では余剰官吏の削減や経済活性化により財政を再建し、南宋の最盛期を築いた。また、高宗の時代に冤罪で処刑された将軍岳飛の名誉回復も行った。1189年2月18日に皇太子の趙惇に帝位を譲り退位したが、以後も1194年6月28日に64歳で崩御するまで権力を握り続けた。