理宗
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理宗(りそう、Lizong)は、南宋の5代目皇帝。姓は趙(ちょう)、諱は昀(いん)。
1205年1月26日に生まれる。太祖趙匡胤の十世の孫で民間で暮らしていたが、1224年に寧宗が崩御すると宰相史弥遠の手で皇帝に祭り上げられた。こうした経緯から治世前半は史弥遠が国政を横断していたものの、1233年に彼が死去すると親政を開始。翌1234年にはモンゴル帝国のオゴデイと組んで宿敵金を滅ぼした。しかしその後はモンゴル帝国との関係が悪化し、次第に領土を蝕まれた。内政面では朱子学の理念に基づく改革に失敗したことで政治への関心を喪失。政務を放り出して放蕩に走り、寵妃の弟の賈似道が専権を振るった。1264年11月16日に60歳で崩御し、甥の度宗が後を継いだ。なお、廟号の「理」は彼が儒教に傾倒していたことに由来する。