恭帝(きょうてい)または恭宗(きょうそう)は、南宋の7代目皇帝。姓は趙(ちょう)、諱は㬎(けん)。
1271年11月2日に度宗の六男として生まれ、1274年に父帝が崩御したことにより僅か4歳で帝位を継いだ。当時の南宋はモンゴル帝国の攻勢により滅亡寸前に追い込まれており、1276年正月には都臨安が包囲された。2月4日、恭帝は母の全太后と共に降伏。1279年に南宋が完全に滅びるとクビライによりチベットに追放された。以後は出家しチベット仏教を学んでいたが、1323年5月頃に元の皇帝シデバラの命で自害して果てた。
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