国鉄C57形蒸気機関車
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国鉄C57形蒸気機関車とは1937年から1947年にかけて製造された旅客用テンダー式蒸気機関車。
国鉄C57形蒸気機関車
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SLばんえつ物語に充当される180号機。 | |
運用者 | 鉄道省→日本国有鉄道→東日本旅客鉄道、西日本旅客鉄道 |
製造所 | 川崎車輛、汽車製造、三菱重工業、日立製作所 |
製造年 | 1937年~1947年 |
製造数 | 201両 |
引退 | 1975年(定期運用) |
車軸配置 | 2C1[注 1] |
軌間 | 1067mm |
全長 | 20280mm |
全高 | 3945mm |
機関車重量 | 67.50t |
総重量 | 115.50t |
動輪径 | 1750mm |
軸重 | 13.96t(第3動輪) |
シリンダ数 | 単式2気筒 |
シリンダー(直径×行程) | 500mm×600mm |
弁装置 | ワルシャート式弁装置 |
- 2025年現在は山口線のSLやまぐち号[注 2]や磐越西線のSLばんえつ物語[注 3]の運用に使用されている。
- また、ボイラーや動輪の比率から、長足で整った容姿をした女性に例えられることから『貴婦人』の愛称がつけられている[注 4]。
- この他にも、日本で最後の旅客営業運転を行ったSLでもある[注 5]
概要[編集]
本来、C55形63号機として製造される予定の機関車であった[注 6]。しかしながら、もはやマイナーチェンジとは言えないくらい改良箇所が多く、検討の末に新形式が与えられた。
製造[編集]
- 鉄道省向けに川崎車輛、汽車製造、三菱重工業、日立製作所の4社から、201両製造された。
- また、外地専用向けに14両製造されている。[注 7]
製造期の相違[編集]
- 1次形
- 「貴婦人」の愛称にもっともふさわしいと言われる基本形。
- 1号機~138号機が該当し、1937年~1940年の間に製造された。
いやシンプルにハイペース過ぎるだろ - 従台車とテンダー台車が共に一体鋳鋼製。
- 2次形
- 準戦時形。
- 139号機~169号機が該当し、1940年~1942年の間に製造された。
- 第二次世界大戦の勃発により、資材・工程が削減されている。[注 8]
- 1次形との違いは蒸気ドームが拡張されたことくらいで、それ以外の基本設計はほぼ共通。もちろんスペックも1次形と大きな差は無い。
- 1次形と2次形とで炭水車を振り替えたケースがある。
- 3次形
- 戦後形…と言いたいが、その実態は2次形のマイナーチェンジ形[注 9]。
- 170号機~189号機が該当し、1946年に製造された。
- 1次形、2次形との違いは先輪がディスク形であること[注 10]、コンプレッサーからの空気放熱管がランボード下に収められていること、砂箱キセ前面が1次形、2次形と比べて傾斜している。
- 4次形
- 戦後形。
と言うかC59形もどき - 190号機~201号機が該当し、1947年に製造された。
- 2次形を踏襲した3次形とは異なり、4次形は戦後形のC59形の設計を取り入れている。密閉式のキャブ、前部上端が45度に切り取られたデフレクター、船底形の炭水車、板厚をましたことで、ずんぐりとした見た目になったボイラー…。
もはやフルモデルチェンジしたのではないかと言わんばかりのマイナーチェンジが施された。この他にも動力逆転機も装備されたが、燃焼室は採用されていない。 - 外観が大きく変わったため、貴婦人の愛称からは除外されることが多く、主な愛称としては「山男」、「戦後形C57」が挙げられている。
運用[編集]
- 全国各地(四国を除く)で優等旅客列車の牽引機として使用された。
北海道地方[編集]
- 1960年代中期まで小樽築港機関区(現・小樽運転所)所属機や釧路機関区(現・釧路運輸車両所)所属機が小樽~釧路間(函館本線・根室本線経由)のロングラン運転が行われた。
- 宗谷本線では、老朽化が進んでいた旭川機関区所属のC55形の置き換えとして、DD51形が3両投入されたが、その置き換える間のつなぎとして旭川機関区所属の87号機(1973年から1974年8月頃までC55形30号機・50号機と共通運用)、九州の130号機、186号機(1974年9~10月に検査期限切れとなったC55形2両を置き換えた)が旭川機関区に転属し、運用に就いた。その後DD51形に置き換えられ、1974年12月8日に運用離脱、1975年2月に廃車になった。
本州[編集]
九州地方[編集]
- 軸重制限の関係上、C53形やC59形などの大型蒸気機関車が入線不可能であった鹿児島本線(熊本以南)や長崎本線にて、1942年の関門トンネル開通に伴い長崎駅まで延長運転された特急「富士」、「かもめ」、「さくら」[注 11]などの優等列車の牽引に充当された。
「貴婦人」の愛称の解釈[編集]
- 先述した通り、ボイラーと動輪の比率から「貴婦人」の愛称がつけられているが、これには製造時期によって解釈が分かれている。
- どのように分かれているかについては以下の通り。
- 尚、いずれの解釈でも4次形は除外されることが多い。
そりゃC59形と似た姿になったかr(((
脚注[編集]
- ↑ 日本国鉄式分類の表記。ホワイト式分類では4-6-2、アメリカ式分類ではパシフィック(Pacific)。
- ↑ 1号機が該当。
- ↑ 180号機が該当。
- ↑ ただし、この愛称には製造時期によって解釈が分かれている。
- ↑ 充当機は135号機。尚、ラストラン後は交通博物館での展示を経て、鉄道博物館に移設・静態保存されている。
- ↑ ただし、従来型からマイナーチェンジさせて製造する予定だった。
- ↑ 14両全て台湾総督府鉄道及び後進の台湾鉄道管理局が保有。尚、後者はCT-270型に改称させている。このうちCT-273号機は動態保存されており、観光列車仲夏宝島号として運用についている。
- ↑ 従台車は組み立て式を使用し、テンダー台車枠は板枠に変更されている。
- ↑ 終戦直後において、旅客用機関車が不足したことにより、設計期間が無く、ほぼ2次形と同じ設計となった。
- ↑ D52形用の先輪を流用したものらしい。
- ↑ このうち富士は戦局の悪化で1943年に博多駅始発に変更、その後1944年に廃止された。また、かもめ、さくらなどは戦後に設定された。
- ↑ 2次形・3次形はマイナーチェンジが施されているため。
- ↑ 3次形は補器類が見直されたことにより厳つい見た目となったため。
- ↑ あくまでボイラーと動輪の比率からつけられた愛称のため。
関連項目[編集]
JR JR東日本の鉄道車両 |
JR西日本の鉄道車両 |