国鉄D51形蒸気機関車498号機
ナビゲーションに移動
検索に移動
国鉄D51形蒸気機関車498号機とは、国鉄D51形蒸気機関車の1両。
概要[編集]
経歴[編集]
現役時代[編集]
- 1940年11月24日に鷹取工場にて落成(製造番号は26[注 1])。
- デビュー時は岡山機関区に配置。その後、吹田機関区、平機関区、長岡第一機関区、直江津機関区[注 2]、新津機関区への転属を経て、晩年は坂町機関区を拠点に活躍した。
- 1972年12月に除籍され、上越線の後閑駅構内にて静態保存されることとなった。
復帰からSLぐんまへ[編集]
- 時は流れ、国鉄が分割民営化して、JRグループが誕生。その中のJR東日本が、静態保存されている蒸気機関車1両を動態復元させ、団体臨時列車を運転させる方針が決まった[注 3]。
- その1両の蒸気機関車を何にするかで議論が進んだが、最終的には当機が選ばれたのである[注 4]。
- 動態復元の対象になった498号機は、1988年3月にDD51形852号機に牽引される形で保存場所から高崎運転所へ移動。DD51形1号機、EF53形2号機、EF60形19号機と並んで展示された。そして、6月にDD51形888号機、894号機の2両にプッシュプル運転される形で大宮工場に回送。復元工事を経て[注 5]11月25日に車籍が復活した。
- そして、横浜博覧会の団体臨時列車…。ではなく、オリエント・エクスプレス '88のラストランに充当された[注 6][注 7]。
- オリエントエクスプレス牽引後は、SLぐんまを初めとする団体・臨時列車の牽引機として活躍した。
21世紀に入って[編集]
2000年代に入ると、当機の不調が起こるようになった。
- 2008年には機関助士のミスで空焚きが起こり、故障してしまう。尚、当機の修繕期間中に、予備機を名目にC61形20号機が動態復元されている。
- 2025年7月には高崎EL・DLに代わる形でGV-E197系を使用したSL・GVぐんま横川の運転がスタートしたが、開始早々D51の動輪のブレーキが不緩解の状態にあり、結局この日は安中駅で運転が打ち切りとなったため、しばらくの間運用離脱を余儀なくされた[注 8]。その後修繕され、試運転を行うも、今度は炭水車の車輪が脱線するといった事故に遭う。C61形は検査に入っているため、群馬にて稼働しているJR東日本所属のSLが0になったことにより、SLぐんまは運行休止に追い込まれることとなった[注 9]。後日、炭水車を構内移動していた際、またしても脱線を引き起こすという事態を引き起こした。
とまあ、もうここまで来ると当機に疫病神が憑いているのかと心配になってくる。
その他[編集]
- 平機関区時代(1953年~1963年)、8620形8630号機(現在は梅小路機関区構内で動態保存、SLスチーム号としても運転)とC62形48号機(銀河鉄道999の原作版での機関車のモチーフとなった号機、残念ながら現存していない)と共に在籍していた。
- 新津機関区時代では1966年~1969年の短い期間にC57形1号機(現在はSLやまぐち号として運転)、180号機(現在はSLばんえつ物語専用機として運転、2000年に再会を果たしている)と共に在籍していた時期がある。
脚注[編集]
- ↑ 実際は付けられていないため、事実上のモノ。
- ↑ あくまで貸し出し。
- ↑ 当時みなとみらい21にて横浜博覧会が開催される予定があり、それにおける臨時列車でSLでの運転が計画されたのである。
- ↑ 議論ではC57形135号機を動態復元の対象にする計画があった(比較的保存状態が良かったため)。
- ↑ 原型に近づけるために前照灯やデフレクターなどの交換を行った。
- ↑ 上野駅~大宮駅間での運用に就いた。
- ↑ 残念ながら、横浜博覧会の運転は中止となってしまったのだが…。
- ↑ 翌日の運用では、全般検査ギリギリのC61形20号機がD51の代走を担った。
- ↑ 一部では、盛岡にて事実上運用離脱しているC58形239号機を持ってくればいいと考えている方もいるが…。
関連項目[編集]
- 国鉄D51形蒸気機関車
- 国鉄D51形蒸気機関車200号機 - 山口線にて、SLやまぐち号の牽引機として活躍中。
- 国鉄C57形蒸気機関車1号機 - 同上。
- 国鉄C57形蒸気機関車180号機 - 森と水とロマンの鉄道にて、SLばんえつ物語の牽引機として活躍中。
- 国鉄8620形蒸気機関車8630号機
- SLぐんま
- オリエント・エクスプレス