国鉄C58形蒸気機関車
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国鉄C58形蒸気機関車
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岩出山城にて静態保存されている114号機。 | |
運用者 | 鉄道省→日本国有鉄道→東日本旅客鉄道、タイ国有鉄道、秩父鉄道 |
製造所 | 川崎車輛、汽車製造 |
製造年 | 1938年~1947年 |
製造数 | 431両 |
引退 | 1973年(定期運用) |
車軸配置 | 1C1[注 1] |
軌間 | 1067mm、1000mm(タイ国有鉄道車が該当) |
全長 | 18275mm |
全高 | 3900mm |
機関車重量 | 58.70t |
総重量 | 100.20t |
動輪径 | 1520mm |
軸重 | 13.50t(第3動輪) |
シリンダ数 | 単式2気筒 |
シリンダー(直径×行程) | 480mm×610mm |
弁装置 | ワルシャート式弁装置 |
国鉄C58形蒸気機関車とは、1938年から1947年にかけて製造された客貨兼用テンダー式蒸気機関車。
- 2025年現在は秩父鉄道のSLパレオエクスプレス[注 2]の運用に使用されており、この他にも239号機[注 3]が動態保存されている。
- また、国鉄のテンダー式蒸気機関車で唯一車軸配置が1C1となっている蒸気機関車である。
概要[編集]
製造[編集]
- 汽車製造と川崎車輛の2社が製造を担当。
- 431両製造されたが、このうち鉄道省・国鉄からは413両、樺太庁鉄道からは14両、[注 4]天塩鉄道(1959年に天塩炭礦鉄道に改称)、三井鉱山芦別鉄道(後の三井芦別鉄道)からそれぞれ2両となっている。
運用[編集]
- 戦前のときからローカル線や都市部の入換用として使用。[注 5]
- 1944年に51両が軍に供出されることになり、軌間を1000mmに改軌、半数が南方に送られた。[注 6]しかし、このときの日本は制海権を失っていたため、海を渡った25両のほとんどは輸送中太平洋に沈没。無事に渡った機体は4両だけだった。[注 7]
まあ、無事だったのはよかったんだけど現地では軸重の都合上構内入替しか運用に無かったのだが。尚、未発送に終わった(一命を取り留めた)半数は軌間を元に戻され、国鉄に復帰。各々の人生を全うした。 - 1948年時点では国鉄に388両在籍。翌年に2両廃車されたが、[注 8]それ以来、1963年まで廃車が発生することは無かった。
脚注[編集]
- ↑ 日本国鉄式分類の表記。ホワイト式分類では2-6-2、アメリカ式分類ではプレーリー(Prairie)。
- ↑ 363号機が該当。
- ↑ 2014年~2023年まではSL銀河の牽引機であった。
- ↑ 当初はC51形であり(1919年~1928年の間に製造されたC51形との関連性はない)、号機番号も1~14であった。後に鉄道省に準じたC58形に改称され、内地化に伴い、鉄道省へ編入されて369号機~382号機となった。敗戦後はソ連に接収されたが、その後の動向は不明。
- ↑ とりわけ千葉、和歌山、四国全域では主力の機関車だった。
- ↑ 37号機~46号機, 49号機~58号機, 64号機~73号機, 88号機~96号機, 130号機~141号機が該当。このうち、海を渡った機体は37号機、38号機、40号機、42号機~45号機、52号機~55号機、67号機、68号機、73号機、91号機、93号機~96号機、130号機、131号機、133号機、134号機、136号機、138号機の25両。
- ↑ 52号機、54号機、130号機、136号機が該当。尚、この4両は戦後、国連軍による接収を経てタイ国有鉄道が保有、独自に761号機~764号機が付番された。
- ↑ 238号機&343号機が該当。
関連項目[編集]
- SL銀河
- SLパレオエクスプレス
- 国鉄8620形蒸気機関車 - 置き換えの対象となった機関車。速度がほぼ同じ。
- 国鉄9600形蒸気機関車 - 同上。牽引力がほぼ同じ。
- 国鉄C50形蒸気機関車 - 同上。
- 国鉄C51形蒸気機関車 - 樺太庁鉄道車が一時期名乗ったが、関連性はない。
- 国鉄D51形蒸気機関車 - 標準形と見た目が瓜二つ。
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