蒸気機関車

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蒸気機関車の一例。

蒸気機関車 (じょうききかんしゃ)とは、蒸気を動力源とする機関車

略称はSL蒸機

概要[編集]

燃料は主に石炭が用いられるが、重油による並燃も行われる。また、牽引力や速度を犠牲にすれば木炭での運行も可能である。
車体の大部分を占めるのが蒸気を発生させるボイラーである。
キャビンはこの後方にあり、火室に燃料を投入して火力を増すが、短時間に大量かつ偏り無く燃料を投入しないと蒸気不足になるので、投炭作業は体力のいる作業である。これを解決したのがメカニカルストーカーである。

長所[編集]

短所[編集]

  • まず、蒸気を動力源とするため、燃料の他にを補給する必要がある[注 3]
  • 機構こそ簡単だが、出力や修理における調整が難しく、保守性にも欠ける。また、性能も天候や軸重(特にタンク機関車が顕著)によって変化する。
  • 電気機関車やディーゼル機関車よりも燃費効率が悪く、牽引力も低い。また、高速運転もできないし、低速運転でも本来の出力を発揮することができない[注 4]
  • 始動や走行終了後の処理に時間を要する。また、ボイラーの膨張・収縮による老朽化の対策も必要になる[注 5]
  • 一般的に機関士(主に車両の操縦)と機関助士(給炭や機関士の補佐など)の2人で乗務する必要がある[注 6]。しかしながら高温の環境に身をおいたり(機関助士にとっては)力仕事を要したりするため、労働環境は過酷。
  • 煤煙およびガスを排出するため、トンネル内では煙やすすが問題となる。また、火の粉も飛ぶこともあるため、沿線火事が起こる懸念もある。
  • 一部を除き逆機に向かず、方向転換する際は転車台などを必要とする。


沿革[編集]

19世紀前半にリチャード・トレビシックが機関車を発明、ジョージ・スチーブンソンによって、軌道、道床の改良まで含めた今日の鉄道システムが開発され、技術革新により大型化、強力化が実現して20世紀前半には技術としてはほぼ完成した。
日本では、新橋駅横浜駅間が開通した1872年から使われた。当時はイギリスからの輸入車を使用していたが、鉄道網の拡大と共に、日本国内にて次々と製造されていった。
国鉄発足後もしばらくは製造がすすめられたが、高度経済成長期に突入すると、国鉄は動力近代化の推進を行った。これにより、蒸気機関車の定期列車での運用は年々減少し、最終的に1976年に消滅した。
その後、SLブームが起こり、現在では国鉄の後身であるJRグループ地方ローカル線某大手私鉄地方私鉄などで、臨時列車観光列車などで使われている。
現在、福島県協三工業が国内唯一の蒸気機関車の受注生産が可能なメーカーとなっている。

その他[編集]

環境系鉄道ライター上岡直見が、自著で最新メカ技術を導入した蒸気機関車の新造を提言している。

脚注[編集]

  1. もちろん高熱量であればあるほど走行する際の質も高まるが。
  2. 中には電気加熱を使用した機関車も存在した。
  3. 大型機でも1回の走行では約100kmが関の山であり、この他にも石炭ガラを処理するための設備も必要となってくる。
  4. 一応動輪径やボイラーの形状で速度は大きく変わるが、その分シリンダーロッドを酷使するため振動も大きくなる。
  5. そのため、保火と呼ばれる行為を行っている(こうすることでボイラーの保護や始動時間の短縮を図っている)。
  6. 前面部にボイラーを据え付けているために前方視界が悪く、運転台及び運転窓にも公式側と非公式側の2つが据え付けられている。

関連項目[編集]